卒業と脱退の差とは何なのか 〜超特急コーイチ脱退をうけて〜

このブログは、超特急のメンバーであるコーイチの脱退発表を受けて、自分の気持ちを整理するために書いたものです。

 
ただのタクスケ推しの戯言です。
 
 
 
 
自担グループの方向性について行けず、自担にもイマイチ沸けず、ジャニーズに疲れていた2013年。
どんどん自担グループから気持ちが離れていた2014年。
 
超特急を知り、魅力にハマっていったのはそんな時だった。
 
 
 
自分と同世代の人たちがキラキラと歌い踊る様は凄く美しかった。
凄く刺激になった。
希望になり、光になった。
 
 
そして皆がニコニコと若さ溢れるパフォーマンスをする中、一人だけどこか憂いを帯びたような表情をする人がいた。
推しはタクスケだったものの、その人は何故かいつも気になる存在で、「この人の心に触りたい」ってずっとずっと思っていた。
それがコーイチだった。
 
 
 
 
話は打って変わって。
昨日はももクロの有安さんが卒業発表をし、その話題で持ちきりだった。
「推しが卒業発表を事前にしてくれること」「卒業コンサートをしてくれること」は決して当たり前ではなく、恵まれていることなんだって改めて気づかされた。
「明日は我が身か」なんて思っていたら、まさかの本当に次の日に来てしまった。
 
 
 
正直、「もし卒業があるとしたら推しだろう」と考えていた。
匂わせ疑惑もあったし、俳優業を理由にしていつか辞めてしまうのではないかとずっと思っていたから、推しの卒業は怖いけどある程度覚悟はあった。
今もそれは変わらない。
 
 
 
 
でも、コーイチがいなくなる覚悟はできていなかった。
しかも「脱退」。
"脱退"の意味を検索すると、「組織から抜けること」と出てくる。
それはわかる。じゃあ「卒業」は?
"卒業"という言葉の意味は、「全課程を終了すること」と出てくる。
 
 
 
 
じゃあ、彼は何も成し遂げられなかったのか?
 
 
 
 
そんなこと、あるわけない。
彼の笑顔や歌に助けられて来た人は沢山いる。
どんな場所でも彼なしの超特急は考えられなかった。
 
 
 
 
 
私だってその一人だ。
 
 
推したちはいつも眩しくて華やかで、時々まっすぐ見るのが辛くなるくらいだから。
そんな時、「大丈夫だよ」と背中を押してくれたり、ゆっくり寄り添ってくれたのはいつも彼だった。
私は彼の持つ独特の柔らかい雰囲気にいつも助けられていた。
 
 
 
 
 
でももしかしたらこの「助けられていた」って言葉自体、彼の負担になっていたかもしれなくて。
ファンが「好き」「頑張って」「あなたは私の全て」って期待をかける度に、彼は無理をしていたかもしれなくて。
そう考えると辛い。
どうしてあげるのが正解だったんだろうか?どうして脱退を選択しなくてはならなかったのか?
あの時こうしてあげたら...考えたらキリがない。
振り返ると後悔ばかりが溢れて来る。
結局、彼の心には少しも触ることは出来なかった。
 
 
 
 
2016年のクリスマス、彼は確かに「僕にとって超特急は未来。」って涙ぐみながら言った。
あの時初めて、彼の心に少しだけ触れた気がしたのに。
少しも触れてなんかいなかった。
 
 
 
きっと彼なりの葛藤ももちろんあっただろうし、私たちには分からないくらい大きな悩みや心配事もあったと思う。
将来への不安もあったと思う。
それはきっと私には一生分かり得ないこと。
 
 
 
でも、私の本心のまま言うならば。
 
 
 
 
もっとあなたの歌を聴いていたかった。
もっとあなたのパフォーマンスを見ていたかった。
もっとあなたの笑顔を見ていたかった。
もっと大きな会場であなたを見守りたかった。
 
もちろん、"超特急"として。
 
 
 
 
そして更に欲を言うならば。
 
 
 
 
居なくなるなら、せめて「卒業」で送り出してあげたかった。
せめて嬉しい門出として見守りたかった。
 
あなたは沢山の人の幸せを作り出した。
誰とも代えがきかないくらい、沢山のことを成し遂げた。
あなたはもっと評価されて良い人。
もっと皆から愛を持って送り出されるべき人だった。
 
 
 
 
 
私は今日、精神的な支えを失くした。
いつもいつも優しい人だった。
お父さん担当がぴったりの心が大きな人だった。
大好きだった。
もしかしたらある意味推しよりも。
 
 
 
今はこれが限界です。
また追記するかもしれません。